駅周辺がおもしろい!~桑折の街を歩く~【2022/11/3訪問】

<カテゴリ:自然・文化遺産>


桑折駅
JR東日本桑折駅(2022年撮影)

  東北の友人から東北本線桑折駅の周辺に面白いスポットがあると紹介されました。その友人は、私が車を使わずに鉄道とバスと歩きだけで旅をしていることをよく知っていて、以前より、時々、駅からでも歩いていけるスポットを紹介してくれています。大変にありがたいことに、これまでの旅の積み重ねによりこのような友人が東北地方に何人かいて、貴重な情報を提供いただいています。早速、出向くことにしました。

 最初に桑折町について簡単に紹介させてもらいます。桑折(「こおり」と呼びます)町は、福島県の北部にある人口1万人強の比較的小さな町です。ただ江戸時代以前より、奥州街道と羽州街道が分岐する宿場町として栄えてきました。この街道が分岐するというところが、今回ご紹介するポイントの1つになります。また果物の生産が盛んで、特に桃の生産が盛んな福島県の中でも、高品質な桃を生産することで知られており、皇室・宮家にも納められています。

 ただあまり町の規模としては大きくないため、これまでも何度か隣接する福島市もしくは伊達市との合併の話が持ち上がってきたようです。

 

在来線桑折駅構内から東北新幹線を見る
在来線桑折駅構内から東北新幹線を見る

新幹線と在来線が並走する

 

 さて東北新幹線と在来線が同じ高さで並走する珍しい光景が見られると聞いたのですが、実は最初、どこが珍しいのか理解できていませんでした。新幹線と在来線が並走するといえば、関東近辺だけでも東海道新幹線の東京~品川間で、山手線や東海道線と並走しています。また品川と新横浜の間にも横須賀線と並走する区間があります。東北新幹線でいえば、日暮里近辺で並走しています。どこが珍しいのでしょうか。

 現地に出向いて理解しました。右の写真をご覧ください。なるほどなんと東北新幹線が高架ではなく、在来線と同じ高さの線路の上で走行しており、時速300kmの猛スピードで並走しているのです。在来線のホームから見るとものすごい迫力です。ちなみに福島駅から東北本線の下り線に乗ると線路の左手にずっと東北新幹線の高架が見えるのですが、桑折駅に近づくにつれ段々と線路が下がってきて、ついには東北本線と同じ高さになることがよくわかります。

桑折駅の横を東北新幹線が猛スピードで通過する
桑折駅の横を東北新幹線が猛スピードで通過する

 確かにこのような風景は見たことがありません。前述の品川~新横浜間では、在来線は東海道新幹線と並走していますが、高架線路上の話です。またその区間は東海道新幹線は高速では走行していません。

 また東京~品川間でも確かに在来線の高さの線路で並走していますが、東海道新幹線が始発の東京駅を出発直後(もしくは終着駅の東京駅間際)のため、低速度にて走行しています。場合によっては在来線に抜かれることもあります。東北新幹線の日暮里付近も同様です。

 ご存知の通り、新幹線の線路が高架である理由は、安全性と高速性を同時に維持するためです。高架の線路であれば踏切もないため高速性を維持することができます。また基本的には人が線路に入り込むことはないので安全性も確保できます。

 それでは何故、桑折駅付近は高架の線路ではないのでしょうか。残念ながらいろいろ調べましたが理由には辿りついていません。是非、ご存知の方がいらっしゃれば教えて頂ければ幸いです。なお松本清張の「点と線」ではありませんが、在来線が駅に止まっている横を新幹線が駆け抜けるシーンに遭遇しないか、1時間ほど待っていましたが、残念ながら遭遇しませんでした。ちなみに新幹線の通過時刻だけであれば駅に設置されているパネルで表示されています。列車の発着時刻の表示はあったとしても、通過時刻の表示は大変珍しい光景です。

 いずれにしても在来線の駅(高架ではない)で待っているその横を新幹線が猛スピードで走りぬける姿は圧巻でした。まさに鉄道マニアの私好みの場所です。紹介して頂いた友人に感謝です。

 

追分
追分

追分

 

 さて次に出向いたのが駅から徒歩2分のところにある追分です。追分とは道が2方向に分かれる場所を指す言葉で、街道の分岐点を意味するようになりました。全国には追分の名前が付く箇所が多く、甲州街道と青梅街道の分岐点である新宿の追分や、中山道と北国街道の分岐点である信濃追分などが有名です。そして桑折駅近くにあるのが、江戸時代の主要街道の1つであった奥州街道から羽州街道への分岐点となっている追分です。この羽州街道はここから小坂峠を越え、七ヶ宿、山形、秋田を経て、青森の油川に至る街道です。昔は出羽の大名が参勤交代の往還に利用した街道だったようです。また米沢藩等の年貢米や特産品が運ばれ、出羽三山詣での人びとが通った道でもあります。

 実は私はこの追分と名の付く分岐点を見るのは初めてでした。写真の右手が奥州街道、左手が羽州街道となっています。羽州街道を少し歩いてみましたが、これが江戸時代の参勤交代に使われた道かと思うような寂しい道でした。

七ケ宿振袖地蔵
七ケ宿振袖地蔵

 ただ私がこの追分に大変に興味を持った理由がもう1つあります。以前にこの先にある七ヶ宿地方を訪れた時があり、そこに通じる道であるためです。車があればここから小坂峠を越えて七ヶ宿まで短時間で行けそうですが、そういうわけにもいかず、また歩きであれば大変な距離のため断念して途中で引き返してきました。

 この街道は秋田街道とも呼ばれているようです。これは秋田藩主の佐竹候がこの街道の整備に尽力したためとも言われています。以前に七ヶ宿に出向いた時に、七ヶ宿街道沿いにある滑津宿には、佐竹候と地元の娘の悲恋の伝説のある振袖地蔵があったことを思い出しました。この寂しい道が、以前は参勤交代で使われた道であること、以前に行ったことのある七ヶ宿を経由して最終的には青森まで通じていると思うと感慨深いものがあります。また以前にこのページでもご紹介した検断屋敷にも通じているようです。そのあたり点と点をつなぎ合わせてみたいという気持ちになりましたが、いかんせん徒歩では限界があります。ちなみに七ヶ宿までは26kmの距離でした。日を改めてこの七ヶ宿街道を歩きたいと思います。

 この追分の地に立ち、当時の様子を思い描くとタイムスリップしたような気持にさせられます。これも東北の友人に感謝です。 

 皆さんも是非、駅周辺にこのような見応えのある桑折町に出向いてみませんか。


<関連情報>

①是非、立ち寄りたい周辺のお勧めスポット(もちろん鉄道とバスと徒歩で) 

塩屋崎灯台

異国の丘 詩碑(2022年撮影)

桑折町出身であり、異国の丘の作詞家でもある増田幸が作詞した異国の丘の詩碑。桑折駅前。

アクアマリンふくしま

西山城跡(2022年撮影)

築城は1189年と言われ、戦国時代に伊達氏が居城としていた。国の史跡に指定されている。桑折駅より徒歩12分

翠ケ丘公園

大カヤの樹木(2022年撮影)

根回りが9m近くあり、平成元年の調査によりカヤの木としては日本一と認定された。桑折駅より徒歩8分。