東北40年!ボロ愚3年! 


 私が東北の1人旅を始めたのが84年8月ですので、丁度、2024年8月は40年目にあたります。40年というとこれまでの人生の2/3以上を東北地方に通っていたことになります。大変に感慨深いものがあります。 

大間崎(40年前この地から旅を開始)
大間崎(40年前この地から旅を開始)

 発端は旅好きの私に対する友人の何気ない一言「一度東北に行ってみれば?東北はいいぞ~」でした。それにつられて、特に計画もなしに84年の8月に1週間ほど出向いたのですが、すっかり東北地方に魅せられてしまいました。その時はこんなに長い間、東北地方に通うことになるとは思いもしませんでしたし、自分でもどうしてこんなに東北地方に魅せられてしまったのかわからなくなる時があります。お蔭さまで旅先で知り合った友人がたくさんできて、今でも年賀状等のやり取りなどをさせてもらっています。また私がここで取り上げているネタなども提供頂くようになりました。

 ここではこの40年に起きたことを振り返り、今後のことなどを考えてみたいと思います。

 

(1)40年を振り返る~4大ニュースと「東北を歩く旅」の変化~

 40年というと時代も昭和から平成、そして令和へと移り変わった頃で、世の中では多くの出来事がありました。それに伴ない私の旅のパターンも変わってきました。ここでは特に「東北を歩く」旅として大きなインパクトのあった出来事を4点ほどあげてみたいと思います。これらはいずれも私自身の旅のパターンすら変えてしまいました(変化してきた旅のパターンについては、「変わりゆく風景」に述べさせて頂いているので、ご参照頂ければ幸いです) 

仙台市旧荒浜小学校跡
仙台市旧荒浜小学校跡(2019年撮影)

①東日本大震災

 改めて言うまでもありません。2011年3月11日に発生した東日本大震災では東北地方の特に岩手県宮城県福島県沿岸部に壊滅的な打撃を与えただけでなく、安全が当たり前のように考えられてきたこれまでの価値観すら変えてしまいました。丁度、前の年の2010年に松島、石巻、塩釜といった宮城県の沿岸を旅していました。もしその時に東日本大震災が発生していればどういう行動をとっていたか、恐らく津波の恐ろしさを理解していなかったので、大津波警報に対して全力で逃げることもせず、今頃、ここにはいなかったと思うとぞっとする思いです。それ以来、地震、台風といった自然災害は最大限注意を図るようになりました。また東北地方の被災地を旅する機会があれば、その慰霊碑を訪れるようになりました(関連記事3.11に改めて思うこと」)

 そして東日本大震災がきっかけで、少しでも多くの方に東北の素晴らしさを知って頂き足を運んで頂くために、2021年のコロナ禍での非常事態宣言の期間を利用してこのブログを立ち上げました(後述ご参照)。

 

②ITの飛躍的進化

 1984年というとパソコンがオフィスにも浸透し始めてきて、1台/人で使われ始めた頃です。もちろんインターネットやスマホといったものはありませんでした。旅の情報はというと旅の雑誌やガイドなどから仕入れるしかありませんでした。今はインターネットを使えば瞬時に世界中のどの地域からでも情報を得ることができます。SNSなどによりそこの評価などもわかります。スマホの地図アプリを使えば、ガイドブックなどなくてもその経路を案内してくれます(関連記事「地図からマップへ」)。本当に便利な時代になりました。恐らく情報量は40年前と比較して千倍以上になったのではと思います。もちろん私自身こういった最新のツールを駆使していますので、昔はよかったなどと思ったことはありません。ただあまりの情報量の多さのために、私のこのブログなどなんの役にも立っていないのではないかと考えてしまうこともあります。

 

磐越西線を走るSL
磐越西線を走るSL(2008年撮影)

③国鉄の分割民営化とJRの発足

 1987年に国鉄が分割民営化されJRが発足されました。国鉄が単に分割民営化されただけではなく、それに伴うサービス向上と合理化の波が押し寄せてきました。元々、赤字続きであった国鉄をなぜ分割民営化しないといけないのか、当時は全く理解できていませんでした。改めて思い起こしてみると、いわゆる「民間の競争原理を取り入れ」「地域密着なサービスを行う」という意味で、経営面ではそれなりの効果はあったようです(関連記事「変わりゆく別れの風景」)。

・分割民営化直前までは毎年のように運賃の値上げがされていたが、それがほとんどなくなった。

・それまでは民間企業の経営を圧迫するという理由で運輸業以外への参入が認められなかったが、運輸業以外への参入が可能になったり、かつてのSL列車の復興といったおもしろ企画が行われるようになった。特にJR九州では是非乗ってみたい特急列車が次から次へと開発され、うらやましい限りです。 

秋田内陸縦貫鉄道
弘南鉄道黒石線始発の川部駅(1986年撮影)1998年廃止

 ところが一方、国鉄民営化の当時から懸念はされてはいましたが、負の側面も出てきているようです。

・複数会社を跨る列車、特に寝台列車がことごとく廃止となってしまった(関連記事「夜行列車から新幹線へ」)。

・周遊券といった格安チケットがほとんどなくなってしまった(関連記事「周遊券から週末パスへ」)。

・特に収益の悪い路線は廃止もしくは民営化されるという憂き目となってしまった。また自然災害が発生した場合の復興の選択肢として、バス路線への転換が挙げられるようになってきた(例えば東日本大震災の影響で普通区間となっていた大船渡線は、鉄道としての復興は断念され、BRTと呼ばれるバス路線になった)。

秋田内陸縦貫鉄道
秋田内陸縦貫鉄道(1991年撮影)

さらにJR発足以前に民営化されていた路線のいくつかは廃止となってしまった(十和田観光鉄道、弘南鉄道黒石線、下北交通大畑線 等)

 こういったことは民間となったからには当たり前のことかもしれません。それでも私のように「鉄道」と「バス」と「徒歩」しか移動手段をもたない者にとっては、どんどん行動範囲が狭くなる一方です。もし今後、これ以上、赤字路線が廃止となったらと思うと気が気で仕方ありません。

 一方で秋田内陸縦貫鉄道のように、国鉄時代は南北に別れて運行されていたものの、第3セクターになり南北線がつながり効率のよくなった鉄道もあります。三陸鉄道も同様です(関連記事「三陸鉄道各駅停車」)。是非、エールを送りたいと思います。

 

青森県八甲田田代新湯
かつてあった青森県八甲田田代新湯(アクセス数NO1)

④コロナ禍とブログの開設

 2020年に突如として発生したコロナ禍も東北旅に大きな影響を与えました。一番大きな影響は外出の自粛宣言により東北へ出向く回数が減ったこと、そしてその自粛期間を利用して、かねてより構想を温めていたブログを立ち上げたことです。

 ただ上にも書いた通り、昨今の溢れんばかりの情報量の中で、本ブログのような見た目の悪いブログ(別名:ボロ愚)がどの程度読んでいただけるのか心配でした(ちなみに私はこれまでホームページ作成の経験が全くないため、見よう見まねで悪戦苦闘の連続です)。

 大変にありがたいことに、2021開設当初と比べて直近では30倍以上に訪問者が増えてきており、大変な励みになっています。ただブログのアクセス数を見てみると、どうも秘湯がらみが多いようです(笑)。是非、それ以外のページも見て頂けるようにこれからも工夫していきたいと思います。

 

<アクセス数上位ランキング>

忘れられた最強の秘湯 田代温泉 失われた秘湯 ~湯の倉温泉~ 地図から消えた秘湯 ~秋田八幡平~

 

鉄道とバスと徒歩だけではいけなくなってしまっている?

  ところがこのブログに関して、最近、ちょっとした悩みがあります。ここでご紹介するお勧め箇所が少なくなってきたということです。私が抱えるご紹介ストックが少なくなってきたわけではありません。お勧めしたかった場所がなくなっていたり、「鉄道」「バス」といったアクセス手段が途絶えてしまっているのです。

青森県八甲田田代新湯
岩手県安家洞(1989年撮影)

 ここでご紹介する箇所は念のため、「①今でもその場所があること」「②今でもバスや鉄道といったアクセス手段があること」を調べた上でご紹介するようにしていますが、上記のような合理化の波で、鉄道やバス路線がなくなってきているのです。

 その一例が岩手県の北上山地にある「安家洞」です。この安家洞は日本一長い鍾乳洞と言われており、訪れたのは1989年5月でした。実際、大変に見応えのある鍾乳洞でした。またそのアプローチ手段が不便極まりないものでした。JR山田線の茂市という駅から岩泉線というローカル線が出ており、その終着駅である「岩泉駅」から安家洞行きのJRバスが1日2本だけ出ていました。1日2本ですのでこれに乗り遅れまいと計画しました。ところが出向いた当日、岩泉線が2分ほど遅れが発生するというトラブルに巻き込まれてしまったのです。ただ同じJRグループですので、JRバスは岩泉の駅で待っているに違いないと思ったのですが、なんと岩泉駅に着いた時はバスが出発した後でした。たった2分の遅れなのに待ち合わせしてくれていないとは!同じJRグループなのにと随分恨んだりしたものです。

秋田県川原毛地獄
秋田県川原毛地獄(1989年撮影)

 そんな珍道中も安家洞のご紹介と合わせてここで取り上げようと原稿を書き始めましたが、念のため調べてみたところ、JR岩泉駅からのバス路線に加えてJR岩泉線自体が廃止されていました。安家洞だけをご紹介するということは車で行くことを推奨することになり、それだけは本ブログのモチーフに反することになり、避けたいと思っています(※コミュニティバスを使えば行ける可能性もあり、もう少し調査してみたいと思います)。

 秋田県の川原毛地獄も同様です。以前は近くにある泥湯温泉までバス路線がありましたが、それもなくなっているようです。

 一層の事、「鉄道とバスと徒歩だけでは行けなくなったお勧めスポット」というカテゴリを設けようとすら思っています(実は真剣に考えています)

 

(2)東北を楽しむ

 これまで40年間、東北地方に通い続ける中、より一層、旅先を楽しむ方法を編み出しました。これは東北に限った話ではありませんので、是非、ご参考になれば幸いです。

その地方の新聞を読む

 旅に出てきた時間だけは、全国紙を読むのではなく、その出向いた先の地方紙を読むようにしています(秋田魁、東奥日報、河北新報・・)。全国的なニュース(直近では「岸田総裁次期総裁選に出馬せず!」等)であれば全国紙と内容が変わりませんが、その地方独特のニュース、イベント情報、あげくにはお悔やみ情報まで掲載されており、読み応え十分です。ちなみに仙台市にある追廻地区の件はこの地方紙を読んで知りました(関連記事「戦争の爪痕」)。

 

青森県板柳町郷土資料館
青森県板柳町郷土資料館(1993年撮影)

②その地方の資料館に出向く

 その地方のことを知るにはその地方にある資料館(民俗資料館、歴史資料館等、いろいろな呼び名あり)に出向いて情報を仕入れるのが一番です。必ずといっていいほど各市町村にはこの種の資料館があり、その地方の歴史や文化などが展示されています。また展示内容もさることながら、そのアプローチ手段も大変な場合があります。例えば写真の板柳町郷土資料館に出向いた時は、鍵が開いておらず、役場に電話をして職員の方に開けてもらいました。

 かなりの数の資料館に出向いたので、いつかこのブログでも郷土資料館というカテゴリを設けて掲載しようと考えています。尤も平成の市町村合併により合併された側の市町村の郷土資料館はどうなっているのか、気になるところですが。

 

(3)そして次の10年へ

 何気なく出向いた東北地方、コロナの自粛期間中を利用して始めたブログですが、今となっては私のライフワークの1つになってしまいました。体力の続く限り、これまで同様、歩くことに拘って次の50年に向けて、東北への旅を続けていきたいと思います。

 ちなみに今、温めている構想として、これまで県別に分類してきましたが、今後はテーマ別に再編するようなことも考えてみたいと思います(「祭り」「廃線」・・)。

 今後も東北地方の素晴らしさをお伝えして、少しでも多くの方に足を運んで頂けるような魅力あるコンテンツにしていきたいと思います。

 

40年おまけの写真です