第146震洋隊基地跡~東松島宮戸島を歩く~(訪問日:24年7月) 

<カテゴリ:自然、文化・遺産>


 宮城県の松島は宮城県を代表する、いえ日本を代表する観光地であり何時も多くの人で賑わっています。ところがその松島の奥に東松島市という風光明媚な素晴らしい街があります。嵯峨渓と呼ばれる奥松島湾の景観、縄文村といった歴史遺産など自然・文化に満ちあふれた私のお気に入りの街です。松島のようなにぎわいがあるわけでもなく、静かな旅を楽しむことができます。

第146震洋隊基地跡
第146震洋隊基地跡

 さてその東松島の海岸沿いに宮戸島という奥松島湾最大の島があります。島といっても陸続きです。その宮戸島のはずれに、かつて太平洋戦争末期に秘密兵器が開発され、その名残があると聞きました。それは「震洋」とよばれる特攻艇で、米軍の本土上陸に備えて秘密裡に開発されたようです。程なく終戦を迎えたため、結果的にこの宮戸島で作られた震洋の出番はなかったようですが、その基地跡が宮戸島の先に静かに眠っているとのことです。この風光明媚な素晴らしい東松島市にそのような基地跡があると聞き、是非、歴史の爪痕を確かめるべく出向きました。

震洋格納壕(格納庫)
震洋格納壕(格納庫)

 最初に特攻艇について簡単にご説明します。特攻隊というと神風特攻隊があまりにも有名で、爆撃機を装備した航空機により相手の艦船に突撃するというものです。「震洋」はそれの海軍版です。人間魚雷として有名な「回天」も同じように人間もろともに相手艦隊に体当たりをして、命と引き換えに敵艦を沈めるものですが、回天の場合、搭載された爆薬は空母を沈めるほどの破壊力を持つと言われていました。それに対して震洋はもっと構造が単純で、なんとベニヤ張りの2人乗りのモータボートにトラックのエンジンを積み込み、先端部に爆薬を搭載させたものです。構造が簡単であるため安価に量産されたようです。編成されたのは1945年7月25日という記事がありました。時は既に終戦間際の頃で日本の敗戦が濃厚という極限の状況で開発された兵器といえそうです。隊員ですらこのお粗末な兵器を見た時には愕然としたという記録が残っています。九州や千葉の房総半島など、日本の各地に震洋の基地跡があるようです。不幸中の幸いなのか程なく終戦を迎えることになり、少なくともここ東松島で作られた震洋は出番がなかったとのことです。

 ちなみに「震洋」という名前は、太平洋を震撼させるというところから名づけられたとのことです。それにしても人間の命と引き換えに相手の艦船に体当たりするとは、なんという惨いことを考えるものでしょうか。誰が悪いとは申しません。改めて戦争の不条理さを感じざるを得ません。

仙石線野蒜駅
仙石線野蒜駅(東日本大震災により新しく建て替えられた)

 このような史実を確認するために2024年7月の真夏日に現地に出向きました。旅の起点は仙石線の野蒜(のびる)駅です。ちなみにこの仙石線は仙台と石巻の間の海岸線を結ぶ路線ですが、東日本大震災で壊滅的な被害を被りました。野蒜駅は駅舎ごと流されてしまい、今の野蒜駅は約500mほど内陸側に新しく駅舎が建てられたものです。仙石線の全線開通に合わせて2015年5月30日に営業が再開されました。

 さて当日、野蒜の駅に降りたまではいいものの、震洋基地跡にどのようにしていくべきか道中ずっと考えていました。というのはネットなどで調べてみたところ、基地の性格上、案内も何もないということです。MAPを調べてみると「第146震洋隊基地跡」でヒットはするものの(本ページの下段ご参照)、それまでの道のりが不確かです。野蒜駅から約6,5kmなので歩行距離としては問題ないものの、無事にたどり着くことが出来るかどうか心配でいました。道はあるのか、迷った場合に周りに住民の方がいらっしゃるのか、最終的にたどり着くことができなかったら6.5kmの道のりが無駄にならないか等々。いろいろ考えた末、行きはタクシーを使うことにしました。私の旅のルールでも、理由がある場合に限り、片道のみはタクシーを使うことを良しとしています。行きはタクシーを使い、帰りは行きのルートを辿って歩いて戻るというものです。自分に言い聞かせるようにタクシーを呼びました。

震洋基地跡近くにある潜ケ浦漁港
震洋基地跡近くにある潜ケ浦漁港

 さてタクシーを呼んだまではいいのですが、なんとタクシーの運転手が震洋隊基地跡をご存知ありませんでした。

「地元のタクシーの運転手もご存知ないようなところに私は行こうとしているのか!」

 いよいよ不安が増してきます。でもここまで来たからには向かうしかありません。タクシーの運転手にマップをお見せしたり、タクシーの運転手も無線で聞いて頂いたりして、なんとか基地手前のトンネルまで辿り着くことができました。ちなみに右下の写真をご覧頂ければおわかりの通り、このトンネル手前まで車できてしまうとUターンが大変なようでした。近くにある潜ケ浦(かつぎうら)漁港という小さな漁港に車を止めて、そこから徒歩で向かうのがよいとのことです。これは帰ってからわかりました。タクシーの運転手に申し訳ないことをしました。ちなみに野蒜の駅からトンネルまでのタクシー料金は2500円で、思ったより安く済みました。

震洋基地跡にむかう途中にあるトンネル
震洋基地跡にむかう途中にあるトンネル

 さてタクシーを降りていよいよトンネルに入ります。トンネルの中は真っ暗でしたが、持参してきた懐中電灯を照らしながら歩いていきます。なおネットなどの記事を見ると、スマホのライトを使うとよいと書かれていましたが、結構、足元が悪く真っ暗な道を歩くため専用の懐中電灯を持参した方がよいと思いました。

 トンネルは7~80mくらいだったのですが、途中でなんと向かい側から人の気配がするではありませんか。2人連れのカップルで、丁度、震洋の基地跡からの戻りのようでした。早速お話をさせて頂きました。このトンネルを抜けるとそこは小さな入り江になっており、震洋の基地跡で間違いないとのことです。ずっと不安な気持ちで歩いてきたので、文字通りトンネルの先に明かりが見えた思いでした。

震洋基地跡(レールが海に向かって沈んでいる)
震洋基地跡(レールが海に向かって沈んでいる)

 トンネルを抜けるとほどなく小さな入り江に到着です。ここがかつての震洋の秘密基地だったようです。ただしもちろん案内はありません。まるでここだけが時間が止まったような不思議な感覚に陥りました。丁度、今から約40年ほど前に「ジバング少年」という少年漫画を読んだことを思い出しました。その漫画の中では、長いトンネルをぬけるとそこは黄金の国だったというものです。それを彷彿するような別世界です。鳥の声と波の音だけが聞こえる全くの静寂そのものです。かつてこの地に本当に震洋の基地があったのでしょうか?。

 少し進むと鋼鉄製のレールがありました。出来上がった舟を海中に送り出すためのものでしょうか、レールの先は海中に沈んでおり、なんとなく物悲しくなるような光景です。

近くの小屋の中にあった電動のウィンチ
近くの小屋の中にあった電動のウィンチ

 もう少し海岸沿いを歩いてみました。台車が1台ありました。また近くにはコンクリート作りの建物があり、中に電動のウィンチが残されていました。先ほど見たレールを使って出来上がった舟を海に送りだすためのものでしょうか。さらに歩いていると震洋を格納するための壕がいくつかありました。一部は漁具置き場となっているようです

 このように静寂の時を味わっていると、家族連れが来られました。先ほどのカップルといい思いのほか人が訪れてくるものだと安心する一方、折角、静寂の時を楽しんでいたのに!という思いになってしまいました。先ほどトンネルでカップルにお会いした時は、ほっとしていたのに現金なものです(笑)。結果的に当日お会いしたのは先ほどのカップルと家族連れの2組だけでした。

奥松島縄文村
奥松島縄文村

  さて十分にかつての戦争の爪痕を確認したあとは、野蒜駅までの長い道のりです。もちろん「東北を歩く」としては、行きはタクシーを利用したので帰りは歩きです。東松島市の当日の最高気温33度の真夏日の中、先ほどタクシーで覚えた道のりをひたすら逆方向に野蒜駅に向かいました。途中、縄文村や大高森といった東松島の名所にも立ち寄ることも忘れません。大高森の頂上では奥松島湾随一の見晴らしを楽しむことが出来ました。

 駅に着くと近くに観光案内所があったので、そこでいろいろ情報をお聞きしました。そこにいらっしゃった職員の方は震洋のことをご存知でした。私の場合、タクシーの運転手はご存知なかったため四苦八苦して向かったことをお話すると、行きに観光案内所に寄ってもらえればよかったですねと残念がって頂きました。

 

大高森登山口
大高森登山口(縄文村のすぐ近くにあり)

  内容が内容だけに先ほどの入り江が本当に震洋の基地であったことを示す証拠は何1つありません。もちろん案内もありません。ひょっとしたら本当に基地があったのかどうかも不明です。手がかりとなるのは、ネット等で記載されている周辺住民の証言だけです。きっと今ほど平和が求められている時代にこそ、このような史実を後生に残していくべきなのかなと思います。

 皆さんも多くの観光客であふれかえっている松島のその奥にある風光明媚な東松島を訪れて頂き、特に縄文村、嵯峨峡、基地跡など歴史と自然の見所満載の宮戸島に足を運んでみませんか。

 


<関連情報>

是非、立ち寄りたい周辺のお勧めスポット(もちろん鉄道とバスと徒歩で)

旧野蒜駅跡(東松島市震災復興伝承館)

仙石線の野蒜駅は東日本大震災により壊滅的な被害を受け、仙石線の内陸への移設に合わせて海抜22mの駅舎に移転した。旧駅舎は2016年に震災復興伝承館としてオープン、2階にはパネル展示や津波関連の映像が放映されている。現野蒜駅から徒歩7~8分

旧野蒜駅跡(東松島市震災復興伝承館)
旧野蒜駅跡(東松島市震災復興伝承館)
旧野蒜駅
旧野蒜駅