岩手に伝わる鬼伝説を辿る(その2:鬼死骸村)
<カテゴリ:自然、文化・遺産>
岩手県に伝わる鬼伝説を辿る旅の続きです。岩手県には数多くの鬼伝説が残されています。パート1でご紹介した鬼伝説については別ページをご参照頂ければ幸いです。今回は明治時代まで実際に行政地区として存在していた鬼死骸村についてご紹介させて頂きたいと思います。
鬼死骸村とは
それにしても鬼死骸村とは、なんと恐ろしい名前でしょうか。ところがこのような恐ろしい地名が実際にあったのです。場所は岩手県の最南端、一ノ関市内の真柴地区にあります。一ノ関駅から国道342号線沿いに約4km、徒歩にして約1時間のところです。以前はバス路線もあったようですが、私が出向いた時には廃止されていました。
鬼死骸村という地名の由来は、平安時代、坂上田村麻呂が蝦夷を征伐したところまで遡ります。別のページでもご紹介しましたが、ここでも坂上田村麻呂の蝦夷征伐が鬼伝説と関係しているようです。田村麻呂は抵抗する蝦夷の大将「大武丸(おおたけまる)」の首を討ち取り、首は宮城県の鬼首まで飛んでいきそれが鬼首の地名の由来に、それ以外の部分を埋めた場所が鬼死骸村の地名の由来になったというものです。
実際は単なる伝説に過ぎないとは思いますが、鬼死骸村という地名は1875年まで実在していました。そのような恐ろしい地名が最近まであったことに大変に興味を引かれます。私であればそのような地名に住んでいることにあまり心地よい気がしないように思えます。なお鬼首にいたっては現時点でもその地名は残っています。
さて鬼死骸村ですが、明治維新の時には行政村としてその名前は残っていたようです。その後、1875年の村落統合により真柴村となり、1889年の町村制施行では真滝村が発足しました。その真滝村も1948年には一ノ関市(初代一ノ関)に編入となり、真滝村の名前はなくなってしまいました。ただ通称としての鬼死骸という地域名は残り、ご存じの「鬼滅の刃」ブームに乗り、周辺で村起こしが行われています。写真の鬼死骸の停留所は栗原市民バスの停留所として実際に2016年まであった停留所です。停留所(待合所)には鬼死骸村絵図のパネルや記念のスタンプなどが設置されていました。
なお余談になりますが、ここで「初代一ノ関」と書いたのは一ノ関市は同一名による新設合併を3回も実施してきており、これは全国最多のようです。合併を繰り返してきたことにより、今では岩手県で2番目に面積の広い行政地区になりました。ちなみに岩手県で一番広い市町村をご存知でしょうか。知られているようであまり知られていないのですが、実は宮古市になります。「魹が崎を歩く」でその面積の広さに驚いたエピソードを書いていますので、ご参照頂ければ幸いです。
さてこの鬼死骸地区には、坂上田村麻呂が大武丸を討伐したことに纏わる幾つかのお勧め場所があります。ここでは代表的なお勧めスポットをご紹介しましょう
鬼石(一ノ関駅から3.6km 徒歩約48分)
延暦20年(801年)大武丸は坂上田村麻呂により捕らえられて首をはねられ、首は現在の鬼首まで吹っ飛んでいきましたが、胴体部分についてはこの地で大石で覆われました。その石を鬼石と呼ぶようになり、鬼死骸の名前の起源とされています。一ノ関の駅から鬼死骸停留所に向かう道沿いにあります。近くには兜石、背骨石、アバラ石といった大石も転がっており、鬼石を載せた時に散った死骸の一部とも言われています。田んぼの中にひっそりとたたずんでいました。
なおこの鬼石ですが、今回、鬼死骸村を訪問した際に一番見つけるのに苦労しました。というのは当日、一ノ関の駅から鬼死骸停留所まで国道342号線沿いに約4kmの道のりを徒歩で向かったのですが、MAP上ではその道から少し離れた鹿島神社のさらに奥にあると示したいたので、付近一帯を探しまくったのですが見あたりませんでした。あげくの果てにはほとんど民家の中とも思える場所まで入りこんでしましたが、やはり見つけられず、最後は断念して鬼死骸停留所に向かったのですが、なんと鬼石は国道沿いにありました。すなわちMAPが示した場所が間違っていたのです。もし同じように鬼石を訪問される場合はご参考になさってください。
鹿島神社(一ノ関駅から3.7km 徒歩で約35分)
延暦20年(801年)、征夷大将軍坂上田村麻呂が、蝦夷の長である大武丸を滅ぼしたあとに勧請したとされる神社です。鳥居の脇には、馬頭観世音、馬歴髪、横山月詣供養塔などの石碑群があります(現地の案内より)。祭神は茨城県鹿嶋神宮の祭神です。ちなみにこの鹿島神宮の祭神は、従わない邪神達をかたっぱしから討伐したとされ、まさに坂上田村麻呂が退治した鬼を鎮めるのにふさわしい神とされています。元々、鹿島の神は朝廷の東北進出の守護神であったとも言われています。
またこの鹿島神社には坂上田村麻呂によって討伐された悪路王(別項ご参照)の首級をもした像も伝わっているとされています。
鬼死骸八幡神社(一ノ関駅から2.6km 徒歩40分)
康平5年(1062年)源頼朝が勧請したとされている由緒ある神社です。社脇には金毘羅大権現などの石碑があります。当初は旧鬼死骸村の鎮守社として別の場所に鎮座していたが、明治時代に入って鹿島神社に合祀され、昭和初期に現在地に移設されたとされています。
なおこれまでご紹介した地はいずれも国道342号線沿いにありましたが、この鬼死骸八幡神社のみは国道から約800mほど離れたところにありました。ちなみに神社の名称に「死」がつくのは、全国でもここ鬼死骸八幡神社のみのです。
(予告)さらに鬼伝説は続く・・
今回ご紹介した以外にも東北地方には多くの鬼伝説が残っています。是非、ご紹介させて頂きたいと思います。
<関連情報>
①是非、立ち寄りたい周辺のお勧めスポット(もちろん鉄道とバスと徒歩で)
・富吉之墓(とみきちのはか)(一ノ関駅から3.7km 徒歩で約35分)
ここは今回ご紹介の鬼死骸村とは直接関係ありませんが少しおどろしい逸話のあるお墓ですのでご紹介させて頂きたいと思います。丁度、一ノ関駅から鬼死骸村に向かう国道342号線沿いにあります。
江戸時代に蘭医学が隆盛し始めた頃に、東北地方で最初の人体解剖が行われました。当時、この地一帯は、一ノ関藩の刑場でした。1785年、盗賊の富吉がこの地で斬罪に処させられ、その死骸が解剖に提供されました。解剖は成功に終わり、その後、遺体はこの地に葬られたとのことです。一ノ関市指定有形文化財です。