松尾鉱山跡~かつての雲上の楽園を歩く~【1987/7/25訪問】

<カテゴリ:文化・遺産>


  東北にはいくつかの名山がありますが、岩手と秋田に跨る八幡平は、私のお気に入りの山の1つです。鉄道とバスをアクセスの基本としている私にとって、八幡平は盛岡方面、田沢湖方面、花輪方面からと幾つかのバス路線が整備されており、非常に便利です。また奥行も深く、裏八幡平縦走路や焼山登山、安比口など、幾つかの登山道が整備されており、それぞれが独自の表情を見せてくれるのが魅力になっています。温泉の宝庫であることもたまりません。

 

<八幡平の四季>

八幡平頂上(春)
八幡平頂上(春)
八幡平頂上(夏)
八幡平頂上(夏)
八幡平頂上(秋)
八幡平頂上(秋)
八幡平(冬)
八幡平(冬)

  東京から八幡平へ行くには、盛岡駅より八幡平頂上への直行バスが便利なため、よく愛用していましたが、以前より、中腹あたりに拡がっている、いかにも廃墟跡が気になっていました。そこでその日は、その廃墟跡を目的に訪れました。訪問先は松尾鉱山跡です。

松尾鉱山跡(1987年撮影)
松尾鉱山跡(1987年撮影)

 松尾鉱山は19世紀末から1970年あたりまで存在していた鉱山で、硫黄鉱が主な産出物でした。1914年(大正3年)に松尾鉱業という会社が設立され、硫黄の採掘と精練が本格的に始まり、昭和10年代には国内需要の約8割を占めるまでになりました。実はそれ以前から硫黄が産することが知られており、1766年の古文書にも記録されていたようです。その後、産出量も増え、一時は日本の硫黄生産の30%、黄鉄鉱の15%を占めるまでになりました。東洋一の産出量を誇り、15,000人近い人が住んでいたこともあったようです。小・中・高校といった学校はもちろん映画館や郵便局、興行施設などがあり、まさに「雲上の楽園」と呼ばれていました。また大正3年には硫黄輸送を目的とした松尾鉱山鉄道が設立されいます。

 ただいいことばかりでなく、鉱毒水問題も表面化して、当局から師道を受けたこともあったようです。

 ところが、御多分にもれず高度経済成長時に硫黄の需要が減ったため、急激に経営が悪化し、1969年に閉山となりました。閉山後は、木造の建物は廃却され、後に残ったのは、当時、最新といわれていたアパート群などです。そのような歴史の爪痕を見ることが出来ると聞き、松尾鉱山跡に出向きました。

旧学習院松尾校舎
旧学習院松尾校舎(1987年撮影当時)

 旅の起点は東北新幹線の盛岡駅です。ここから八幡平方面のバスに乗ります。当日は午前中に別目的地に行った後に、午後から松尾鉱山跡に向かいました。最寄りのバス停は「学習院前」というバス停です(注:学習院前の停留場は今はありません)。この雲上の地に「学習院前」というバス停は少し奇異と思われる方もいらっしゃると思います。実はこの校舎は、学習院の松尾校舎として、松尾鉱山跡の設備を一部利用して、校外学習や部活の合宿地として使われていたようです。ただ利用も少なく建物の老朽化も進んでいたため、2006年に廃校になったようです。廃校のあとは「さら地」になり、もちろん「学習院前」のバス停もなくなりました。右の学習院校舎は当時をしのぶ貴重な写真になってしまいました。

松尾鉱山跡
松尾鉱山跡

 学習院前で降りた私は、近くにある松尾鉱山跡を見て周りましたが、茫然としてしまいました。以前に15,000人もの住人が住んでいた「雲上の楽園」とは思えない、誰1人いない文字通りの廃墟です。残されていたのは、当時、最新といわれていたアパート群です。多くの建物は道路から離れた場所にありますが、1棟だけ道路のすぐ横にもありました。現在はアパート群の廃墟跡しかありませんでしたが、当時としては珍しい鉄筋コンクリート造りの建物で、4階建ての各棟には、今では当たり前の水流トイレやセントラルヒーティング等の最先端の設備が導入されていたようです。水道高熱費はすべて無料だったようです。また周辺には、小中高校などの教育設備はもちろん、病院、郵便局、商店(今でいうスーパーマーケット)など、一通りの設備がそろっていました。15,000人といえば小さな1つの市町村を形成するだけの人数です。その中にはもちろん子供さんもおられたと思います。日本の高度経済成長を支えた方々とそのご家族は、鉱山閉山後、どこに行かれて、どのような生活をされているのでしょうか。そういったことを考えると時間の経つのも忘れて、その場にたたずんでしまいました。


  バスで行く場合、どのようにして降りるかという問題はありますが、比較的アクセスのよい地に歴史の爪痕を見ることが出来ます。是非、一度、訪れてみては如何でしょうか。

松尾村歴史民俗資料館
松尾村歴史民俗資料館(1988年撮影当時)

 なお麓に「八幡平市松尾鉱山資料館」があり、松尾鉱山の歴史を展示しています。私も以前に「松尾歴史民俗資料館」という名称の時に訪問したことがありましたが、平成26年に松尾鉱山に特化した資料館に模様替えしたようです。残念ながら、模様替えしてからは訪れていませんので、ここでは中身の紹介ができませんが、松尾鉱山跡と合わせて訪問すると、より理解が深まるものと思われます。 


<関連情報>

①旅程※時刻は訪問当日の時刻表です。もし訪れられる場合は最新の時刻表をご参照頂きますようお願いします。

【1987/7/25】※午前中は別の地を訪問

花輪線大更駅(14:13)=(岩手県北バス)=学習院前(注:参考情報ご参照)(14:48)=(徒歩:学習院校舎、松尾鉱山跡、観光ホテル)

 

②最新のアクセス情報:上記背景の通り、現在、「学習院前」というバス停はありません。バス路線自体は残っていますので、バスで訪れる場合は、最寄りのバス停で降りるか、運転手にお願いして、松尾鉱山跡の近くでおろしてもらう必要があります。ご注意頂きますようお願いします。

 

是非、立ち寄りたい周辺のお勧めスポット(もちろん鉄道とバスと徒歩で)   

浄土ヶ浜

松川地熱発電所(1986年撮影)

日本初の商業ベースの地熱発電所。地熱発電は火山大国日本の究極の再利用可能エネルギーとして期待されている。地球は生きていることを実感。JR盛岡から松川温泉行きバスで終点下車

水産科学博物館

焼け走り溶岩流(1987年撮影)

岩手山の東部におよそ4km、150haに拡がる広大な溶岩流。岩手山の火山活動により生成。真っ赤な溶岩流が山の斜面を駆け下る様子を見た当時の人々が、「焼け走り」と呼んだことに由来する。国の特別天然記念物に指定。JR花輪線大更駅から徒歩1時間15分(少し遠い)

 


④松尾鉱山跡