信夫山に再び登る ~実はすごい山だった~

<カテゴリ:自然、文化・遺産>


 福島県のJR福島駅近くにある信夫山に登山してきました。信夫山と書いて「しのぶやま」と呼びます。東北新幹線で仙台に向かう際、丁度、福島駅を出発した頃に右手にそびえたつ?のがよくわかる山です。標高は275mでいわゆる低山と呼ばれる部類になると思いますが、福島県の県庁所在地でもある福島市の真ん中、しかも駅近くにも関わらず。豊かな自然環境が残されており、家族向けのハイキングコースが縦横無尽に整備されています。

信夫山
福島駅近くの複合施設コラッセから見た信夫山

 実はこの山に登るのは2回目です。自称、山好きなのですが、八甲田山、八幡平など一部の山を除いて、これまでに同じ山に複数回登ることはほとんどありませんでした。信夫山に初めて登ったのは10年ほど前に、東北を巡る旅もついに最終県の福島に到達した時でした。その時はあまり予備知識もなく山のガイドブックに掲載されている吾妻連峰などの福島県の有名な山などと同じく、福島県の山を制覇しようと登山しました。ところが最近になって、いろいろなガイドや福島県の情報を調べていく中で、実は信夫山は伝説に満ち溢れたすごい山であることを知りました。2024年になり、改めて信夫山に登山したのですが、なるほど以前に登山した時には見えていなかった景色が一杯溢れていることを改めて知りました。皆さんにも是非、実はすごい山である信夫山に足を運んで頂きたく、今回ご紹介させて頂きたく思います。

 

信夫山
福島駅近くのコラッセ(信夫山の絶好の撮影ポイント)

信夫山の生い立ちがすごい

 

 まずなぜ福島市のど真ん中に山が残されているのか調べてみました。その起源は1000万年前に遡ります。その頃、東北地方はまだ海底でした。信夫山の地層はその頃に海底に堆積したものだそうです。その頃にマグマが昇ってきて周辺の地層は固くなりました。その後、500万年前ごろより隆起が始まり、東北地方一帯は陸化しましが、50万年前には今度は陥没し始めたのです。それまでにマグマの影響で固くなっていた信夫山はそのまま取り残されてしまいました。「残丘」もしくは「孤立丘」と呼ばれているそうです。このため山頂には今でも貝や魚の化石が残されています。文章で書けばわずか数行のことですが、1000万年前とか500年前とか途方もない数値としか言いようがありません。

 なお右上の写真は福島駅近くにある複合施設「コラッセ」から信夫山を撮影したものです。ちなみにこの「コラッセ」は信夫山の全景を撮影する絶好の撮影ポイントのようです。この「コラッセ」を建設する際に実施したボーリング調査において興味あるエピソードがあります。それはボーリング調査で、地下120mまで掘り下げようやく岩盤に突き当たったというものです。すなわち信夫山は岩盤の上に120mの土砂の上に埋まった山で、実は395mであったことになります。

 

六供の1つ。一宮明神
御神坂(この近辺に皇太子と皇后の末裔が住まれている)

欽明天皇の伝説と末裔が住むという不思議な集落

 

 信夫山には熊野山、羽黒山、羽山と呼ばれる3つの頂きがあります。その1つである羽黒山の近くに不思議な集落があります。

 今から約1500年前、29代欽明天皇の時に兄弟で後継者争いが勃発しました。争いに勝ったのは弟の方で敏達天皇が誕生したのですが、敗れた兄の淳中太尊(ヌナカフトのミコト)は応援していた御母宮(石姫=イヒヒメ。すなわち欽明天皇の妻)と家臣を引き連れて、この信夫山に追われてきたのです。その後、淳中太尊が亡くなると信夫山の山頂にある羽黒山の権現として祀られるようになりました。そして一緒についてきた家来は、同じく羽黒山の権現の六供(ろっく)といわれる高僧になりました。そしてなんとその子孫が信夫山に住んでいるというのです。同じく皇后さまについてきた7人の家来も七宮人とよばれ、その子孫が住んでいるのです。

一宮明神
六供七明神の1つ一宮明神

六供七宮人とよばれ、歴代、重く扱われてきたようです。そして「御神坂(おみさか)」と呼ばれる羽黒山への参道に、六供(ろっく)の小宮と言われるお宮が並んでいます。右上の写真が御神坂、右の写真が六供の1つである「一ノ宮明神」です。五穀豊穣、商売繁盛、家内安全のご利益があるとされています。

 そしてこの御神坂の周辺に六供七宮人の末裔が住まれているとのことです。中には77代も遡ることが出来る古い家系図をお持ちのお宅もあるようです。もちろんそれを見ることはできませんでしたが、お墓に「七十七代・・・」と書かれていました。

 

猫稲荷
猫稲荷

ネコを幸せにするネコ稲荷とは?

 

 信夫山の山頂付近に猫稲荷があります。これにも伝説があるようです。昔、信夫山の三狐と言われた3匹の狐がいて、いろいろと悪だくみをしては付近の住民に迷惑をかけていました。中でも「信夫山のご坊狐」は人を化かすのが上手で、和尚さんに化けては魚やに現れ、木の葉の小判で魚を買っては持ち帰るなどのいたずらをしていました。ある日、同じ狐仲間の「石が森の鴨左衛門」が尻尾で釣りをすれば魚が釣れるとだまして、真冬の寒い夜に沼に自分の尻尾を垂らして魚を待っていると、尻尾は凍り付いてしまい抜けなくなってしまいました。力まかせに引っ張ると尻尾は根本から切れてしまったというものです、落胆したご坊狐をみた和尚さんは、今後は御山の人たちに恩返しをするように諭し、蚕を喰いあらすねずみを退治するようにしたのです。これまで狐のいたずらに悩まされていた和尚さんが、今度は狐を諭すようになったのです。それ以来、ご坊狐は「ネコ稲荷」として信仰を集めるようになり、いつからか猫を幸せにする稲荷となったとのことです。羽黒山から少し御神坂を下ったところにあります。

 

岩谷観音
岩谷観音

岩谷観音

 

 信夫山にはいくつかの登山口があります。10年前に最初に登った時は表口から登りましたが、今回は表口から少し東側に廻った岩谷観音から登るコースを取りました。

 ここには磨崖仏(まがいぶつ)が60体近くが岸壁に彫られており、福島指定の史跡にもなっています。ちなみに磨崖仏とは自然の岸壁などに対して彫られた仏さんなどのことで、日本中のいろいろなところで見ることができます。信夫山の中腹の岸壁にも三十三観音、不動尊、地蔵尊などおよそ60体が彫られています。平安時代から鎌倉時代にかけてこの地方を支配していた豪族、伊賀良目氏が岩をほって作ったお堂に聖観音を祀った岩谷観音が始まりとされています。その後、観音堂が建立され、1614年に現在の観音堂が再建されたと言われています。

 この種の磨崖仏を見るたびに思うことですが、改めて磨崖仏に対する先人の思いと完成までの道のりに頭が下がる思いです。余談になりますが、今回の登山はもちろん福島駅から徒歩で出向いたのですが、この岩谷観音まで約50分ほどかかりました。あまりお薦めできません。バス路線もあるようです。

 

羽黒山神社と大わらじ
羽黒山神社と大わらじ

日本一の大わらじと羽黒神社

 

 信夫山には熊野山、羽黒山、羽山と呼ばれる3つの頂きがありますが、その1つである羽黒山の近くに日本一の大わらじがあります。高さは12mもあります。毎年、2月に実施される「暁(あかつき)まいり」で片足分が奉納されます。この暁まいりは江戸時代から400年近く受け継がれてきた伝統行事です。大わらじは、昔、羽黒神社に仁王門があり、そこに安置されていた仁王の大きさにあったわらじを作り、それを奉納したのが始まりとされています。特に健脚、旅の安全を祈って奉納するようになりましたが、最近では無病息災、家内安全なども祈願されています。

 毎年、8月の第1金曜日から日曜日にかけて実施される「福島わらじ」祭りは、この暁まいりに由来していると言われています。ここではおおわらじ(片足分)が奉納され、暁まいりに奉納された大わらじと合わせて一足とすることで、より健脚を祈願する意味も込められているようです。

 

烏ケ崎展望台
烏ケ崎展望台から見た山形新幹線の工事の状況

烏ケ崎展望台~信夫山随一の展望台~

 

 信夫山は福島市内にポツリと島が浮かんだような独立した山なので、そこから見る景色は絶景の一言です。そして信夫山にはなんと7ケ所も展望台があるのです。その中でも最も代表的な展望台が西端にある「烏ケ崎展望台」です。ここからは福島の中心街はもちろん、天気がよければ東にそびえる吾妻連峰がよく見えます。丁度、信夫山を東から縦走した場合の終着地点になるので、ここで福島市内の景色を見ながら休憩する方が多いようです。いろいろ写真を撮りましたが、ここでは以前より気になっていた山形新幹線の工事の状況がよくわかる写真を掲載してみました(山形新幹線については別ページで触れていますので、ご参照頂ければ幸いです)。

 

猫魔ゲ岳の猫石
猫魔ヶ岳の猫石

3回目の登山、そして低山伝説へ

 

 このように見所満載の信夫山に、24年の5月の気候のいい時期に1日かけて回ったのですが、実はまだまだそのすべてをご紹介できていません。是非、続編を予定したいと思います。さらに訪れようと思っていたのに廻りきれなかった箇所も数多くあります。わずか275mの山なのに1日かけてもまだまだ見足りないとは、なんと奥の深い山でしょうか。是非、3度目の登山を計画したいと思います。ちなみに10年前、最初に信夫山に登山した時の山日誌には「やたらと神社の多い山だ」としか書かれていませんでした。上でご紹介した御神坂は覚えてはいますが通過しただけでした。なんともったいないことをしたのでしょうか。もっと下調べをしておけばよかったと悔やまれてなりません。そういえば今まで登った山にもそれぞれに伝説があったなあと思い起こされます。例えばこのブログでご紹介しただけでも、「薬莱山と山姥(やまんば)伝説」、「猫魔ケ岳と猫伝説」等々です。まだここではご紹介できていませんが、「男鹿真山となまはげ伝説」などもそうです。

 今更悔やんでも仕方ありません。今から山に纏わる伝説を訪ねる旅を始めたいと思います。ただもうこの年です。以前にようにテントをかついで縦走する体力はありません。今後は東北にある低山とその山に纏わる伝説を中心に廻ってみたいと思います。 

 


<関連情報>

①是非、立ち寄りたい周辺のお勧めスポット(もちろん鉄道とバスと徒歩で)

古関裕而記念館
古関裕而記念館(2015年撮影)

古関裕而記念館

NHKの朝の連続ドラマですっかり有名になった作曲家の古関裕而は福島市の生まれです。そして上のMAPをご覧ください、なんと信夫山の近くに記念館があります。古関裕而は5000にも及ぶ曲を作曲したと言われています。特に早稲田大学や慶応大学の応援歌、高校野球選手権大会の大会歌、阪神タイガースの球団歌などが非常に有名です。福島駅より徒歩45分と少し遠いですが、路線バスがあるのでそれを使えば便利です。信夫山に登山する機会があればその行き帰りに是非立ち寄って頂きたいと思います。