由利高原鉄道 鳥海山ろく線各駅停車  

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由利高原鉄道(2023年撮影)
由利高原鉄道(2023年撮影)

  秋田県の西部を走る鳥海山ろく線は、羽越本線の羽後本荘駅から終点矢島駅を結ぶ第3セクターです。元々は国鉄の時代からあった矢島線を由利高原鉄道が引きつぎ、1985年に開業しました。当初は本荘市と周辺の町を結んでいた路線でしたが、平成の大合併により2005年に本荘市が周辺の町を合併して由利本荘市という秋田県で一番面積の広い市町村になりました。そのため鳥海山ろく線は、由利本荘市という1つの市だけを走る全国的にも珍しい鉄道になりました。鳥海山という私の大変にお気にいりの山の麓を走るということもあり、第3セクターになった翌年の1986年に最初に出向き、その後も何度か乗車してきました。最近になり、沿線にいくつかの名所とそれに関連する鳥海山ろく線の車両が出来たと聞き、2023年の夏に久しぶりに鳥海山ろく線に各駅乗車してきました。

旧横荘鉄道浅舞駅
旧横荘鉄道浅舞駅(1997年撮影)

 元々鳥海山ろく線は、秋田県内陸部の横手駅と沿岸部の本荘駅を結ぶ横荘鉄道の一部が元となっています。この横荘鉄道は最終的に廃止となりましたが、以前にこの廃止となった横荘鉄道跡を歩いたことがあります。その時は、途中で道がわからなくなり断念しましたが、是非機会あればその時のことをご紹介したいと思います。写真は旧横荘鉄道の「浅舞駅跡」です。一時は旧国鉄時代の国鉄再建法施行により第1次特定地方交通線に指定され、その後、輸送密度が延びず、バス路線への転換の議論もされたようですが、1985年に第3セクターとして開業しました。

 沿線は文字通り鳥海山の山ろくを走るのどかなローカル鉄道で、どこからでも鳥海山を眺めることができます。

 ただ大変に気になることがあります。2023年の夏に久しぶりに鳥海山ろく線に乗車して各駅停車をしたのですが、ほとんど私1人しか乗っていなかったということです。私が乗車していなければ乗客ゼロの状態だったということになります。ちなみに下の写真は第3セクターに転換した翌年の1986年に出向いた時の矢島駅の写真ですが、それなりの賑わいでした。今回、2023年に撮影した時が夏休み中だったため閑散期だったのでしょうか。鳥海山ろく線は大丈夫でしょうか。その存続が大変に心配になった次第です。

第3セクター開業当初の矢島駅
第3セクター開業当初の矢島駅(1986年撮影)
最近の矢島駅(2023年撮影)
最近の矢島駅(2023年撮影)

 ここでは鳥海山ろく線の魅力をお伝えするために、実際に訪問してきた中から、各駅につきお勧めスポット1点を厳選してご紹介させて頂きたいと思います。今回ご紹介する駅は以下の通りです。残りの駅については別の機会にご紹介させて頂きたく思います。少しでも皆さんが由利高原鉄道鳥海山ろく線に興味を持って頂き、足を運んで頂けると幸いです。

 


羽後本荘駅【永泉寺の山門】

 

 始発駅の羽後本荘駅から徒歩10分程度のところに本荘公園があり、その近くに永泉寺があります。永泉寺と書いて「ようせんじ」と呼びます。このお寺はかつて江戸時代に本荘藩主として入部してきた六郷氏の菩提樹です。特に1865年に完成したと言われているその山門は見事なたたずまいです。またたたずまいだけではなく、山門の天井には天井絵がはめらており、そこで彫られている彫刻は華麗でこれをみるだけでも一見の価値があると思います。昭和43年に県の重要文化財に指定されました。

 なお永泉寺自体は、明治35年と平成6年に全焼に近い火災に遭いましたが、奇跡的にもこの山門は被災することなく、残っています。是非、一度、足を運んで頂くことをお勧めします。羽後本荘駅から徒歩約10分です。

以前の羽後本荘駅
以前の羽後本荘駅(1991年撮影)
生まれ変わった羽後本荘駅(2023年撮影)
2019年に生まれ変わった羽後本荘駅(2023年撮影)

永泉寺(1991年撮影)
永泉寺(1991年撮影)
永泉寺山門(1991年撮影)
永泉寺山門(1991年撮影)


鮎川駅【旧鮎川小学校と木のおもちゃ美術館】

 

 旧鮎川小学校は昭和29年(1954年)に作られた木造校舎で、平成16年(2004年)まで50年間使用されてきました。明治時代から大正時代に至る学校校舎の建築様式を引き継いだ貴重な校舎です。内装も秋田杉の木目を生かした床や壁など非常に調和の取れた美しい校舎です。国の登録有形文化財にも指定されています。

 そしてこの非常に貴重な校舎をそのままの形で残しながら、2018年に「木のおもちゃ館」が設立されました。舘内は地元産の木を使ったおもちゃ等、こどもだけではなく大人まで楽しめるものになっています。鮎川の駅からそれほど遠くはないのですが、送迎バスが出ており、簡単にアクセスすることができます。また由利高原鉄道もこの木のおもちゃ美術館を後押ししており、内装をおもちゃで埋め尽くされたおもちゃ号を1日2本ほど運行しています。時刻表には運行される時間帯が表示されていますが、時々、不規則な運行になるようです。丁度、私が乗車した時は、本来であればおもちゃ号の車両ではありませんでしたが、幸いにもおもちゃ号に乗ることが出来ました。大変にラッキーだったのですが、乗客が私以外1人もいないのが大変に残念でした。

おもちゃ号(2023年撮影)
おもちゃ号の車内(2023年撮影)
鮎川駅(2023年撮影)
鮎川駅(2023年撮影)

木のおもちゃ美術館(2023年撮影)
木のおもちゃ美術館(2023年撮影)
木のおもちゃ美術館(2023年撮影)
木のおもちゃ美術館(2023年撮影)


前郷駅【タブレット交換】

 

 由利高原鉄道鳥海山ろく線はもちろん単線ですが、昔から単線の鉄道路線では上り列車と下り列車がぶつからないように特定区間を設けて、タブレットという通票をもった列車のみが運用するような仕組みが取られてきました(厳密にいえばいろいろなパターンがあるようです)。この特定区間の両側でタブレットを交換することにより、安全を守るようにしたのです。そして東北地方でこのタブレット交換が見られるのは、この由利高原鉄道鳥海山ろく線と津軽鉄道だけです。

 私が最初に鳥海山ろく線に乗った1986年にはこのことを知りませんでした。その後、鉄道雑誌等でタブレット交換のことを知り、2023年に鳥海山ろく線に乗った時、駅員に是非写真を撮らせてほしいとお願いして快諾もらいました。特定区間はこのタブレットを持った列車しか走行できないことになっており、極めてシンプルな方法ですが、絶対に衝突は発生しない仕組みであると思います。

前郷駅(2023年撮影)
前郷駅(2023年撮影)
タブレット交換(2023年撮影)
タブレット交換(2023年撮影)


曲沢駅【取り付く島のない駅からの鳥海山遠望】

 

 鳥海山ろく線が第3セクター化されてから新しく3つの駅が出来ましたが、その1つが曲沢駅です。写真をご覧頂ければおわかりのように、田んぼのど真ん中にぽつんと駅があり、沿線の皆さんには大変に失礼ながら本当に駅を作る意味があったのかと思うほど、取り付く島のない駅です。実際、沿線の乗降客ランキングを見ると、始発駅である羽後本荘駅を除く11駅中、最下位のようです(令和4年度国土数値情報より)。

 この取り付く島のない駅ですが、周辺に見所がないかといろいろ探した結果、どうも沿線の中で最も鳥海山が美しく見れる駅ということがわかりました。鳥海山ろく線はどの駅からも鳥海山を見ることができますが、確かにこの曲沢駅から撮影した写真が迫力ありました(下の写真は私の拙い撮影技術で曲沢駅から撮った鳥海山です)。ただ帰宅してから改めて調べたところ、前沢駅から鳥海山を撮影するのではなく、鳥海山ろく線が曲沢駅にさしかかるタイミングで、鳥海山をバックにして曲沢駅を撮影するのがよいとのことでした。どうも事前の準備不足だったようです。

曲沢駅(2023年撮影)
曲沢駅(2023年撮影)
曲沢駅からの鳥海山(2023年撮影)
曲沢駅からの鳥海山(2023年撮影)


矢島駅【重要文化財土田家住宅】

 

 終着駅の矢島駅から徒歩15分のところに、国の重要文化財である土田家住宅があります。土田家の祖先は木曽義仲の四天王の1人である根井行親(ねのいゆきちか)の末裔とされており、この住宅は17世紀に初代清左エ門によって建てられたものとされています。最近になり、何度か解体修理が行われ、ほぼ当時の状況が復元されました。

 秋田県には「中門(ちゅうもん)造り」という作りの民家が多く残されています。これは岩手県によくみられる南部曲がり屋と似ていますが、雪の多い日本海側では突出した正面部分に出入り口を設けることにより雪に埋もれないための工夫がなされてきたようです。ちなみに入館料は200円で、この金額でこれだけの貴重な建造物を見ることができるのは大変にコストパフォーマンスがいいとしかいいようがありません。訪問当日は、来館者は私一人でしたが、この古民家に1人たたずんでいると悠久の歴史に思いをはせることができて、のんびりとした時間を過ごすことができました。アクセスも容易で、是非、皆さんにもお勧めしたいと思います。ただ職員の方がいらっしゃらず、いろいろお話をお聞きしたかったのですが、ぞれが出来ず残念でした

土田家住宅(2023年撮影)
土田家住宅(2023年撮影)
松子さん
ご存知のまつ子さんは夏休み中でした


<参考情報>