広泰寺と不識の塔~西目屋村のパワースポットを歩く【1988/7/30訪問】
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青森県の西部に、周りを1000m級の山々に囲まれた西目屋村という山間の村があります。村の南西部に位置する白神山地は世界最大級のブナの自然林が残されており、ブナを中心とした多種多様な動植物が生息するなどの豊かな生態系が形成されています。日本で初めて世界自然遺産に登録されました。その西目屋村に、「広泰寺」と「不識の塔」という不思議な建造物があると聞き、かねてより訪問したかった暗門の滝と合わせて、2日間に渡り訪れました。ここでは2回に分けてこの西目屋村のパワースポットをご紹介したいと思います。
初日の7/31、まず西目屋村の不思議な建造物である「広泰寺」と「不識の塔」を訪れました。いずれも津軽出身の建築家「斉藤主(さいとうつかさ)」により建造されたものです。まず最初に斉藤主ならびに広泰寺、不識の塔について簡単にご紹介したいと思います(西目屋村のホームページより引用)。
斉藤主は津軽藩士の弘前城下にて生まれましたが、その後、上京、いろいろな仕事を経験した後、弘前市に戻り土木業を営むようになりました。現在、弘前市の追手門広場にある旧弘前市立図書館は、斉藤主らにより建設され弘前市に寄贈されたものです(青森県重宝)。また西目屋村の治水事業や道路開削などにも尽力されました。広泰寺は、晩年、米沢市にある上杉謙信ゆかりの曹洞宗の寺院であったものを斉藤司が譲り受け、この西目屋村に再興されたものです。当時は暗門の滝を訪れる観光客の宿泊場所としても利用されていたようです。建物は寺院としては珍しく赤れんが造りとなっており、実際、赤れんが造りの本堂は日本初めてと言われています。そして今でも赤れんが造りの寺院は珍しいようです。
一方、不識の塔は、西目屋地区の開拓の記念碑として造営されたもので、これもれんが造りの塔です。塔の名称は広泰寺の山号と同じく、上杉謙信の法号である「不識庵謙信」にちなむといわれています。
ちなみに私が訪問した後ではありますが、広泰寺と不識の塔は、平成14年(2002)度から翌年にかけて保存改修工事が行われました。貴重な文化遺産を後世に伝えるため、村の有形文化財に指定されています。指定理由は、れんが造りの外観や工法等について、「あらゆる面で当時としては卓越した建造物である」というものです。従い、ここでご紹介する写真等は、保存工事前のものです。村の有形文化財に指定されたので、恐らく周辺は整備されたものと思います。
さて旅の起点は青森県西部にある弘前市です。弘前市は、弘前藩の城下町として古くから栄え、今でも青森県西部地方の中核都市となっています。またリンゴの生産量が日本一としても知られています。その日、何時も愛用している急行八甲田ではなく、急行津軽で向かいました。余談になりますが、当時、上野から青森に向かう夜行の急行列車として、「八甲田号」と「津軽号」といった定期便に加えて、「十和田」他、季節の臨時列車がありました。急行津軽は、奥羽本線を周り、かつ停車駅が多かったこともあり、上野から青森まで14時間近くもかかっていたのです。頻繁に停車するため、なかなか寝付けないこともあり、当時、多くは急行八甲田を利用していました。今回は奥羽線の途中駅で下車するため、急行津軽を使うこととしました。
弘前の市内は既に8/1から始まるねぷた祭りのカウントダウンが始まっていて、街全体が盛り上がっていました。
広泰寺を歩く
さて西目屋村に向かうには弘前駅前から川原平行のバスに乗車します。ちなみに直近で調べたところ、このバスはまだ健在のようでした。川原平は終着の停留所でもあり、結構、ひなびたところかと思っていましたが、意外と拓けていました。それでも人の気配もなく、正直、さいはての地に来たなあという郷愁にかられながら広泰寺と不識の塔に向かいます。途中でササに覆われた山道のようなところを歩き、約30分で広泰寺に到着しました。広泰寺自身が赤レンガで作られていることもあり、最初、見た時には、なぜこのような山奥にこのようなしゃれたお寺が?と思うような、少しエキゾチックで、かつしゃれた洋館と思わせる外観でした。
不識の塔を歩く
不識の塔は広泰寺より徒歩15分のところにあります。これもササで覆われた山道を行きますが、標識はしっかりとしていたので迷うことはありませんでした。不識の塔も西洋の城を思わせるたたずまいです。ところどころに窓があり、内側にはらせん階段がつけられています。その風貌は見る者を圧倒するような不思議な力を持っていると感じました。
斎藤主は、何を目的にして、このさいはての地にこの赤れんがの不思議な建造物を立てたのでしょうか。戻ってからもいろいろ文献を調べましたが、詳しい理由はわかりませんでした。それでもこの明治から大正にかけて、赤れんがのお寺と塔にロマンを感じざるを得ませんでした。
是非、この明治・大正のロマンを感じることができる不思議な建物を訪れてみては如何でしょうか。最新の状況をネット等で調べて見ましたが、西目屋村の有形文化財に指定されたこともあり、周辺はきれいに整備されているようです。また広泰寺や不識の塔自体にも少し手を加えられたようで、HP等で見る写真は、私が見た時よりも綺麗になった感じがします。
さて西目屋村の不思議なパワースポットを見終えた後は、西目屋村の観光地を訪れました。最近になって知ったことですが、乳穂ケ滝は冬になると氷瀑になり、ライトアップされるということです。是非、機会あれば、再度、訪れたいと思います。また岩谷観音は結構、川を下っていったところにあり、少しスリリングな気分を味わうことができます。いずれもバスの終着駅である川原平より徒歩圏内です。
西目屋村の観光スポットを見終えた次の日は、暗門の滝を訪れました。暗門の滝は白神山地が世界遺産に登録されたこともあり、すっかり有名になりました。私が訪れた時のことは、また別項でご紹介したいと思います。
<関連情報>
①旅程※時刻は訪問当日の時刻表です。もし訪れられる場合は最新の時刻表をご参照頂きますようお願いします。
【1988/7/29】上野(22:39)=(急行津軽)=弘前(11:40)
【1988/7/30】弘前(13:00)=(弘南バス)=川原平(14:07)~西目屋村散策Ⅰ(広泰寺、不識の塔)
砂子瀬(16:37)=(弘南バス)=目屋温泉(16:48)~西目屋村散策Ⅱ(岩谷観音、鷹の巣、乳穂ケ滝)
目屋温泉(18:13)=(弘南バス)=弘前(19:02)~(泊)弘前
②広泰寺と不識の塔